SIM City 2018

デジタルの記憶

あらゆるものがデジタル化され、飛躍的に生産性の向上した現代において、過去の貨幣価値はその意味を失いつつあった。

食料や水、電気といった生活必需品の生産は、そのほとんどが自動化され、多くの人々は生きるためではなく、文化的な満足や新たな発見、名誉などのために生きる事が出来るようになった。
また同時に、人々にはそれが求められるようになっていた。

このため、絵画や彫刻といった文化的な資産は依然として価値を誇っており、またむしろその価値は、金銭的な意味合いが強かった時代よりも、歴史的・文化的な資料としての資産価値により重きが置かれるようになっていた。

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数人の男性が、それぞれの手に握られた小型のデバイスを見つめている。そのデバイスには、虹彩認証用の小さなカメラ、LED、ボタンがあり、そして表面には、北斗七星の形のロゴが印字してある。

 

「3, 2, 1 実行」

 

首謀者と思しき男性の掛け声と同時に、それぞれがボタンをクリックする。

程なくして、デバイスのLEDが赤色から緑色に変わり、それ同時に、目の前のいくつかの木箱が青色の光に包まれた。

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「盗まれたんです、私の絵画が!」

窃盗や盗難、特に美術品の扱いを専門とする部署に所属する警察官サキ・シモダがこの第一報を受け取ったとき、これは大きな事件になると予感した。

サキの見つめるモニター越しに映った女性の顔には、明らかに焦燥と落胆の文字が浮かんでおり、今起こっている事の重大さを伺わせている。 

「落ち着いて、いまの状況について詳細にお話しください」

「絵が、絵が盗まれたんです。いや、絵はあるんですが、もう戻ってこない・・・・」

取り乱し、パニックに陥った彼女の説明は、全く要領を得ない。絵が盗まれた、のではなさそうだが、何かあったことは間違いない。

このままではラチが明かないと判断したサキは、この女性のいる現地に向かうことにした。絵画が狙われたということであれば、何らか現場検証も必要になるだろう。
サキは鑑識道具を一通り揃えて、雪道を走り出す。場所はオスローにある美術館、車で1時間ほどの距離だ。

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サキが美術館に到着するのと同じくして、複数台のタクシーとトラックが美術館に滑り込んできた。

タクシーには複数の男性が乗っており、タクシーから降りた一人の男性は、"POLICE"と書かれたサキの車を見ると、途端に難しい表情を見せた。

「警察の方、ですか?私はこの美術館で副館長をしておりますトム・ハウゲンと申します。」

「私はサキ・シモダ、刑事です。こちらの美術館から絵画の盗難について通報を受けまして。」

そう言いながら、サキは懐からバッジを取り出す。
時代は変わっても、警察がバッジを出す習慣は変わらない。しかしながらこのバッジには利用者認識モジュール(Subscriber Identity Module : SIM)が内蔵されており、提示されたバッジが真正なものであるかどうかを、提示された者がオンラインで確認することができるようになっている。
トムは仕事柄、警察と関わりを持つことが多いため、メガネに内蔵された機器を使って、提示されたバッチを無意識にスキャンし、真贋を確認していた。

「分かりました。事情を説明しますので、中にお入りください。」

そういうとトムは、美術館の中にサキを案内した。美術館の入り口には「Munch-museet(ムンク美術館)」と書かれている。

館内エントランスには、数人の学芸員が待ち構えていた。そしてエントランスの椅子には、憔悴し切った様子の女性がもたれ掛かるようにして座っていた。
女性はこの美術館の館長、ジュンコ・カトウ。通報をした本人だった。
ジュンコはトムを見るなり、怒りの表情をあらわにした

「一体どうして、なぜ許可もなく・・・」

「こちらへどうぞ。状況についてお話します。館長もご同席を。」

トムは、ジュンコの言葉を遮るようにして、サキを別室に案内する。彼は焦燥したジュンコの代わりを務めるべく、毅然とした面持ちを見せている。

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「つまり、絵画の輸送中に、この脅迫状を見つけたということですね?」

「はい、そうです。空港の税関を通る直前に、この封書がコンテナに貼り付けてあるのを発見しました。

トムが脅迫状といった封書は、ごくありふれた封筒に、ごくありふれた紙が入っており、そしてその紙にはこう印字されていた。

 

"全ての作品を燃やす。後世の人々に、叫びを見ない人生を送らせるため。"

封筒と紙はごく普通のものだが、印字方法は変わっており、ゴムか木に文字を彫った後に、それをスタンプのように押して文章を作ってあった。
当初は絵画の窃盗事件と考えていたが、この脅迫状を見る限り、犯人の目的は窃盗ではなさそうだ。

 

「叫びとは『ムンクの叫び』のことですね。このような脅迫を前に受けたことはありますか?何か個人的に恨みを買うようなことなどは?」

「いえ、そのようなことは、私が館長になってからは一度もありませんし、過去にそのようなことがあったことも申し伝えられておりません。」

「では今回の絵画の輸送先に、この絵画を持って行かせたくないような理由がある?」

「思い当たる節は、ないですね。」

今回の輸送先は、日本の都立美術館だった。この美術館には過去に何度か絵画を運んでいるため、輸送先の問題とは考えにくい。

 「ところで今絵画は?無事なんですか?」

「・・はい。今はこの美術館の金庫内で、復元が進んでいるはずです。」

「復元、ということはInventoryで転送されたということですね。」

 

"Inventory"とは物体の管理を行うための仕組みで、例えば重要な絵画などの管理を、このサービスを使って行うことができる。

管理とは、具体的には「物体のデジタル化」「物体の転送」「唯一性の保証」「複製可能数の設定」などで、物体とそれの対になるデジタルデータを共に利用することで、物体にデジタルの利点を付加することができる。

例えば、デジタルデータを使って別の場所で同じ物体を複製したり、同一の物体が同時に存在できる数を指定したり、複製を禁止したりすることができる。
この時代では、静止物であれは物体のデータを元に、他の場所で同じものを復元できるところまで技術が進んでいる。絵画の場合、主な利用目的は他の美術館への貸し出し時の転送だが、盗難や紛失時にも備えることができるため、多くの美術館が歴史的価値の高い絵画についてはこのInventoryが利用できるように設定をしている。このため、Inventoryの設定をした絵画の額縁には、SIMとInventoryクライアントが内蔵されている。

物体のデジタル化は、その目的に応じて分解能の異なる装置が使われるが、絵画についてはとりわけ唯一性の保証が重要となり、物体とデジタル情報を完全にマッチさせるため、最も分解能の高いスキャナーが使われる。

分解能の高いスキャナーは、データから物体への復元に時間がかかるが、技術的にみてデジタルデータ化前の物体と同じものが復元できる。このため複製を許さない状態、つまり唯一性を保ったままで復元された物体は、完全に復元前の物体と同じものとして扱われる。
要は、絵画の貸し出しなどをInventoryで行なった場合、転送元の絵画は消え、転送先で新たに復元にされる。このため、転送先の絵画は、技術的にも法的にも、転送元の絵画と同じと見なすことができる。

また、例えばゴッホの「ひまわり」は、所有者が複製可能数を無制限に設定しているため、世の中の大半の美術館で"本物"を見ることができるようになっている。

 

「今回、この脅迫状を見た時に、犯人の目的はわからず、仮に美術館に引き返したとしても、その途中を狙われる可能性も十分にあると考えました。このため、一刻も早く絵画を金庫にしまうことが重要と判断し、すぐさまInventoryを利用しました」

特に重要な物体を転送する際は、複数人の許可を得るような仕組みを利用することも多い。今回のケースでは、管理者1名とその他2名が同時に許可をおこなうと、絵画の転送が行われるようになっていた。

そして同意を得るための仕組みとして、携帯可能なボタン型のデバイスが使われている。各ボタンにはSIMが内蔵されており、クリックすることで認証を行うための通信が行われる。またハッキングを防ぐため、正しいSIMからの通信以外は受け付けないよう、SIMによる認証が行われる。

通常は館長であるジュンコが管理者としての責務を果たすが、絵画の輸送の際には、現場の判断でInventoryが使えるよう、副館長であるトムに管理者の権限が付与されていた。

このため、トムはその場で判断を下し、他の学芸員とともにボタンをクリックして、Inventoryによる転送を行ったのだった。

 

「なるほど、賢明な判断だとは思います。では絵画は無事、ということですね。しかしながら、なぜ今回は空路による輸送を選ばれたのでしょうか?Inventoryを使って直接日本に転送を行った方が、リスクは低いと思いますが。」

「その点に関しては、当美術館の方針、とお答えしておきます。そして絵画は無事ではありません。転送が行われてしまったのだから。」

ジュンコが声を荒げて言った。

転送技術はまだ新しく、これを嫌う人たちがまだ一定おり、実はいまだに陸路空路で美術品が運ばれるケースも少なくない。
技術的に言えば、一定以上の分解能でスキャンすることで、転送技術を使っても何ら物性の変わらない物体をデジタルデータから作り出すことができるわけだが、そのプロセス自体に疑問や嫌悪感を感じる人たちがいることも事実だ。

これについては水掛け論になってしまうことをサキは経験的に理解していたので、あまり話題に触れないよう、話題を逸らした。

 

「ひとまず絵画の所在地は確認できたので、脅迫状の送り主についての調査を開始します。念の為、しばらくはこちらの美術館に警官を常駐させるようにします」

 

地元の警官を手配し、サキは帰路に着いた。

 

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調査は開始されたものの、唯一の物証である脅迫状に関しては、何も手がかりが得られないまま2日が過ぎた。
使われている紙は広く一般に普及しているもので、購入元から購入者を割り出すのは困難だった。
また文字は自作のスタンプのようなものを使って押されているため、筆跡から個人を特定したり、フォントからプリンタ種別を判定することも不可能だった。 
トムたちが美術館を出発し、戻ってくるまでのビデオ映像についても、記録があるものは全て確認したが、脅迫状を置いた場面は捉えられていなかった。
なにより犯人の目的がはっきりと分からないため、捜査対象を絞り込むのは困難な状況だった。

現状を伝えるため、サキはトムに連絡を取った。

「・・とまあこのような状況で、犯人につながるような手かがりは今の所ない状況です。そして脅迫状以外は、なんら発生していない。本当に犯人に心当たりはないでしょうか?」

「はい、そうですね・・・。ちなみにですが・・・この捜査の打ち切りをお願いすることは可能でしょうか?」

トムの発言に、サキは面食らった。

「え、捜査の打ち切り、ですか?そうですね、今回の場合は何ら被害も出ていませんし・・・。いやしかし、今回日本への輸送が行えなかったということは、展示会が開けないということですから、ここで捜査を打ち切ると、日本サイドへ申し開きが出来ないのでは?」

「その点に関してですが、実はまだ日本サイドには脅迫状があった事実は伝えていません。輸送時の梱包に問題があり遅延しているとだけ伝えています。」

「しかしながら、これだけ輸送遅延しているのであれば、展示会の会期には間に合わないのでは?」

「・・・いえ、航空輸送の場合はフライト時間や入管チェック、手続きなどがあり輸送に数日かかりますが、Inventoryを使えばこれらの時間は不要なので、その点も問題ありません。会期には十分間に合います。」

Inventoryに登録された美術品は、デジタル化された時点でその内容物の全てが把握できている状態になる。このため、国をまたいで転送する場合も、デジタルデータの確認を相手国のシステムで行えば良いため、非常にプロセスが簡素化される。

「Inventoryの利用、ですか。たしか美術館の方針で、絵画の貸し出しにはInventoryを使わないのでは?」

「内情をお話しすると、それは以前までの館長の方針でして。今回、一度Inventoryを使って転送してしまったので、その点に関しては既に抵抗感がないと考えています。」

一連の回答は、少し「出来過ぎている」とサキは感じた。

「もし間違っていたら申し訳ないのですが・・・脅迫状を作ったのはあなたですか?」

重い沈黙が流れた後、トムが口を開く。

「・・事情をお話ししますので、館長には今回の問題は手がかりなしで捜査打ち切り、ということにしてもらえないでしょうか?」

「話の内容次第、でしょうか。」

サキは少し考えたあと、こう続けた。

「もしあなた方が脅迫状を出したのだとすると、館長が嫌がる物体転送を使えるようにするために、"Inventoryを使って転送をした事実" を作るための芝居を打った、という風に見えますが。」

「・・・そうですね、おおよそ、その通りなのですが、私にはもう一つ別の理由がありまして・・・」

彼は俯きながら話し始めた。

 

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館長のジュンコとトムは、知り合って10年になる。ジュンコは芸術に対し情熱を燃やし続け、またトムも同じく芸術に対して情熱を傾けていた。

二人は芸術を通じて分かり合い、互いに認め合い、恋仲になるのは時間の問題だった。

芸術に情熱を燃やすあまり、周りが見えなくなる彼女を、トムは献身的に支え続けた。ジュンコがムンクに傾倒していった時も、ムンク美術館の館長を目指した時も、常に支え続けた。
「叫び」を代表作とするムンクの作品は、不安や苦悩といった精神世界を描く作品が多く、感受性の高いジュンコは、いつしかムンクの作品や、ムンクの人生そのものに感化されていくようになった。

ムンク美術館の館長となった後、その傾向は強まっていき、彼女はムンクの心理描写をトレースし、より深くムンクの絵画を理解するために、自らをあえて精神不安な状態へと追い込んでいった。
それが彼女の情熱なのか、館長としての立場がそうさせたのか、いずれにせよトムには、ジュンコが精神不安に日々陥っていくのを見るのが耐え難くなってきた。またそれとは別に、自分よりも彼女の興味を引く「ムンク」という男に対しての嫉妬心にも気がつきはじめ、いつしかこの状況を打破することを考え出した。

彼は、彼女が絵画の転送を使わない理由を理解していた。彼女は、ムンクの描いた精神世界がデジタル化されるのを極端に拒んでいたからだ。技術的に同じものが復元されるとはいえ、一度デジタルに形を変えたものにはムンクの精神世界は宿らない、という考えなのであろう。

ただ市立美術館ということもあり、盗難や紛失時の復元手段を持たないことはできないため、彼女の一存ではInventoryの導入を止めることはできなかった。このため、彼女はムンクの絵画たちをスキャンしてデジタルデータ化するところまでは許したものの、1度たりとも転送を行わせることはなかった。

美術館に損害を与えず、彼女の立場を傷つけず、絵画を失わず、彼女をムンクから引き離す方法。それが絵画のデジタル化であり、その末に起こした行動が、今回の一連の出来事の顛末だった。

 

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「他の学芸員には、私からお願いして協力してもらいました。ですので、責任は全て私がとります。しかしながら、もちろんこれは私のわがままですが、彼女にはこの事実を明かさないで頂きたいのです。」

トムは真剣な眼差しでサキを見つめる。

「・・・・確かに実被害という意味では、美術館にも絵画にも何もありませんでしたし、単なる愉快犯だった、として片付けるのはやぶさかではありません。私もいろいろ事件を抱えていて暇なわけではないので。館長への説明は、あなたの方からお願いします。」

サキはそういうと、通話を切った。そして事件記録に内容を記して、"解決済み"のボタンをクリックした。

 

 

無数のSIMによりヒトとモノがつながり、そして共鳴する街、SIM City

 

その後、ジュンコがどうなったのか、二人の関係がどうなったのか、サキには分からなかった。ただサキには、トムは自らが発する叫びに耳を塞いでしまって、押さなくてもよいボタンを押してしまったように感じられたのだった。

 

 

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