SIM City

この記事は SORACOM Advent Calendar 2015 12/22 分のエントリーです。

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「15桁のIMSIなんて、聞いたことがないよ。そもそも15桁って少なくないか?」

秋晴れの骨董市で男が見つけたのは、表面が金色にコーティングされ、鈍く光る2センチ角ほどのプラスチックチップだった。

裏には製造番号らしき文字と、そしてうっすらと北斗七星のマークが書かれているのが見える。

"IMSI"というのはこのチップに書き込まれているIDで、同じIDのものは2つ存在しない。

「これは売り物じゃないんだけどね。珍しいでしょう。祖父からもらった物なの。祖父も、父親か誰かにもらったみたい。」

そう言いながら、店番の女は懐かしむようにチップを見つめる。男は、きれいな瞳をもったその女を、その少し興奮した面持ちで見つめる。

「これ、"SIMカード"っていう名前なのよ。昔はIMSIが15桁しかなかったの。IMSIの末尾が7で揃っているでしょ?だから幸運のお守り代わりに持っているの。それにこれ、IMSIの書き換えが出来ないのよ。一途な感じでいいでしょ。」

一途というよりも、融通が効かないってほうが合っているんじゃないかと、男は思った。

「カードという割には、チップと言ったほうがいい大きさに見えるけど。」

「このチップは元々、大きなカードについていたの。それでこのチップは、切り取ったあとのもの。昔はこれを電話機に入れて使っていたのよ。」

「電話機か。それなら、うちのじいさんが持ってたな。でもそんなチップを入れる所はなかったけど。」

「多分その電話機には"eSIM"っていうのが入っていたんじゃないかしら。SIMカードよりもだいぶ小さいチップよ。出てきたあとに、あっという間にvSIMやnSIMに取って変わられたけどね。それにね、今と違ってこのeSIMもSIMカードも、通信にしか使われてなかったのよ。」

女は、別のケースから小さな黒いチップを取り出した。2ミリ角ほどの小さな物体、eSIM。Embedded SIMと呼ばれていたものだ。

「昔はほとんどすべてのものが"SIMフリー"だったんだろ?僕はとてもじゃないけどそんな環境では生活できないな。」

「SIMフリー、ね。以前は"電話機がSIMを選ばない"という意味だったらしいけど。確かに今ではSIMのついていないモノを探すほうが難しいわね。」

通信を行うために使われ始めたSIM(Subscriber Identity Module:利用者認識モジュール)は、単に通信時の認証だけでなく、人や物、データを識別するためのモジュールとして、ここ数十年で大きく発展を遂げた。

SIMに割り振られた"IMSI"と呼ばれるユニークIDは元々15桁だったが、用途が増えるに連れ、より大きなアドレス体系へと移行し、現在は元々通信のために使われていた"IPv6"と呼ばれる広大なアドレス体系の一部が、SIM用として割り振られている。

IMSIはIDブロックごとに国などの政府機関や民間団体に割り振られ、SIMに埋め込まれて利用される。そしてIMSIの埋め込まれたSIMの認証と、IMSIと紐づく情報の保護を行うための認証プロバイダ(以前はクラウドやキャリアと呼ばれた企業)により、巨大な仮想空間の中で運用される。

過去に発行された社会保障番号マイナンバー、電話番号といった類のID体系はすべてこのSIMに収れんされ、強固な認証やブロックチェーンを用いて保護されて、様々なデータに紐つけられ、利用されている。

このSIMは大きく2つの形状もっている。一つは形がなく、電子情報に付与されるvSIM、そして物理的なものに付与されるnSIM。

古く使われた「SIMカード」や「eSIM」と呼ばれたものと比べても極小のnSIMは、カーボンナノチューブで作られており、仮想空間と物理空間の個別の物体を識別/認証するためのIDとして、世の中のありとあらゆるものに付与されている。

また至る所に張り巡らされた高周波網から出力される電波を使い、nSIMはそれ単体で駆動/通信することができ、nSIMの付与された対象物の様々な情報を常に仮想空間上のコピー(Thing Shadow)に反映させることができるようになっている。

このコピーにより、個人の所有物の管理を仮想空間上で容易に行えるだけでなく、Thing間の協調動作により、人と会話をしたり、事故を未然に防いだり、体調管理を行ったりすることができ、社会基盤として大きな役割を担っている。

「昔の人は、几帳面だったんだな。俺なんか部屋の物への最終アクセス履歴がないと、掃除も出来ないよ」

「それは私もそうね。冷蔵庫からレコメンドがないと、美味しい料理は作れないわね。」

そう言いながら、彼女はふと視線をそらす。おそらくどこかから連絡が入ったのだろう。

「ごめんなさい、上司から呼び出しがあったの。対面で話がしたいって。」

「仮想でなくて対面でなんて、よほど重要な用事なのかな。」

「おじいちゃんだから、仕方がないわ。」

そういうと彼女は荷物を一つにまとめはじめた。

「それじゃあね。またどこかで。」

上目遣いで笑いかける彼女に、心拍数が上がるのを僕のThing Shadowが見逃さなかった。頭のなかでアラートが鳴る。

「あのさ、その、よかったら君のIMSI、教えてくれないかな?」

驚いた彼女は一瞬考えたあと、いたずらな顔をして、彼女自身のIMSIと、先ほどのSIMカードを差し出した。

「このSIMカードからの連絡なら、出てあげる。年代モノだから、これが使える通信機器を探すのも大変だと思うけどね。」

そう言うと、彼女の体が光りに包まれ、少しづつ薄くなっていった。彼女を取り巻く無数のSIMが、物質情報をデジタルにプロトコル変換して転送する、「SORACOM Beam」と呼ばれる転送方式。

「早く電話してこないと、他の誰かにSIMロックされちゃうから。」

そう言い残した彼女は、電子の海へ消えた。

SIMを通じて融合する仮想空間と物理空間、その中で生きる人と人、人と物には、予測できない出会いがまだまだたくさんある。無数のSIMによりヒトとモノがつながり、そして共鳴する街、SIM City。この幸運のSIMカードが使える電話への出会い、そして彼女との再会を楽しみにして、僕は街に踏み出した。