SIM City 2021

この記事は SORACOM Advent Calendar 2021 12/19 分のエントリーです。

 

未知の心

人類が到達していない未知の領域への探究心は、太古の昔から人類のDNAに深く刻まれている。

未知の場所を探索し、未知の知識を得ることで生活を向上させる、そういった営みが脈々と続き、地表を埋め尽くし、宇宙に到達した人類は、憧れの地であった宇宙をも、自らの生活向上のための場としての活用を始めた。

広大な宇宙の探索、とりわけ地球外惑星の探索をミッションとして旅立っていく少数精鋭の挑戦者たちがいる一方、地球周辺の宇宙空間は、研究や生産の場として幅広く活用できる設備が整い、宇宙空間で行われる研究や製造に関する知識を持つ人間であれば、そこを活躍の場として利用できるようになった。

宇宙空間では、地球とは異なる重力と高い真空環境があるため、地上では比重の違いにより均一に混ぜることのできない材料同士を使った新しい合金や、不純物の影響なく高い精度で元素を積み上げた積層材料を作ることなどができる。このため、宇宙空間で行われる研究は、多くが新材料の研究を占めている。そして一部の材料に関しては、研究の枠を超えて実用化され、人々の生活向上のために、宇宙空間での量産が行われている。

例えば現在では、様々なデバイスの通信を行うため、カーボンナノチューブで作られた「nSIM」と呼ばれる極小のチップが多く利用されている。このチップを使うことで、認証と通信を行うことができ、あらゆるもののネットワーク接続を実現しているが、このnSIMを構成するための一部の材料は、この宇宙空間で作られている。

宇宙空間でさまざまな材料の量産がはじまると、物資運搬の効率化のために、軌道エレベーターの構築が行われはじめた。軌道エレベーターは、静止軌道上にあるステーションと地表とを結ぶエレベーターで、安定して物資を運搬することができる。世界各地にこの軌道エレベーターが建築されており、地表から高度36000Kmに大型の静止軌道ステーションが点在している。この軌道エレベーターが完成したこともあり、地球周辺の宇宙空間の利用は加速度的に進んでいる。

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「そうだな、まずはグラスでビールが飲みたいね。」

「それよりも野菜ジュースにしなさいよ。筋肉弱ってるんでしょう?プロテインも入れてあげるから。」

通信端末越しに会話する男性の背景には、大きく月が映し出されている。

およそ1年に渡る静止軌道ステーションでの任務を終えようとしているジョン・シモダは、安堵とも、もしくは疲れとも見える表情をしながら、彼の帰還を心待ちにしている彼女の顔を、通信端末越しに見つめている。

「地上での回復が済んだら、すぐに会いに行くよ。だからビールを冷やしておいて。」

「分かったわ。プロテインの入ったビールを探しておくわね。」

ジョンは材料工学を学んだ後、タナカ金属という組織で働いている。タナカ金属は、さまざまなデバイス用のバッテリーに使われる電極を製造しており、特に高性能の
バッテリーで使われる高性能電極の一部の製造を、静止軌道ステーションで行っている。

ジョンはこの電極製造プロセスの改善と、より高性能な電極用材料の研究のために、静止軌道ステーションで生活をしている。

微小重力化のステーションでの生活はお世辞にも快適とは言い難く、たいていの人間は3日で地上に戻りたくなる。実際に何人かの同僚はステーションでの生活に根を上げて、任期を待たずして地上に戻ってしまったが、ジョンは地上の快適な生活よりも研究に対するモチベーションが上回り、任期いっぱいまでステーションに留まり、ようやく明日、地上へと帰還する。

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静止軌道ステーションから地上へは、物資輸送のためのコンテナを使っておよそ1週間かけて降りていく。地表とステーションの間に張られたワイヤーの周りを取り囲むように作られた輸送コンテナには、物資輸送のためのスペースと、人の往来のための居住スペースが備え付けられている。

ステーションから地上へ降りる際は、微小重力で鈍った体を重力に慣らすため、いくつかの回復プロセスとトレーニングを行う必要がある。

地上帰還後の回復プロセスも含めると、以前は地上での生活に戻るために2ヶ月程度かかっていたが、軌道エレベーター運用に伴い行われた回復プロセスの改善が行われ、現在では10日程度で問題なく地上での生活が送れるようになっている。

回復プロセスを無事終えたジョンは、すこし緊張した面持ちで彼女の家に向かった。ステーションでは四季がなく、久々に感じる秋晴れの心地よさを感じながら、車を走らせる。

山間の広大な土地に建てられた和風の平家建て家屋の周りには、ビニールハウスやコンテナハウスが建てられている。ジョンの彼女はこの土地で精神科医として働くかたわら、様々な植物を育て、なかば自給自足の生活をしている。

植物の中でも、盆栽は禅の精神が治療に役立つそうでとりわけ気に入っているようで、数多くの盆栽を育てている。ステーションにいる間の彼女との会話でも、しばしば盆栽の話題が出ていた。
盆栽は大型のものだと数百年も生きることができ、3Dプリンタなど現在の技術では人工的に作ることができないため、世界中に数多くの愛好家がいる。

各盆栽にはnSIMと各種センサーがついており、水分量やPH、栄養状態などさまざまなデータを取得することができる。取得したデータは、
Harvestと呼ばれるDNAストレージに格納されており、盆栽を育てる多くの人が、このデータをパブリックデータセットとして公開している。
そしてこれらのデータセットを、Lagoonと呼ばれるデータ可視化・分析のための仕組みを使って分析し、得られた生育ノウハウが世界中でやりとりされている。

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1年ぶりの再会を果たした二人は、お互いの無事を確認しあい、触れ合える喜びを噛み締めた。この1年間で起こった出来事は携帯端末を通じて話してきたが、顔を寄せ合って話を聞くと、また新しい色を帯びて聞こえる。

「そんなわけで、ここ一年いろいろな材料を混ぜてきたけど、結局モノになったのは一つもなかったよ。」

「そうなの?カーボンと銅の化合物は二酸化炭素を効率的に分解できる、とか言ってなかった?」

「バッテリー用の電極としては価値がなくてね。それこそ盆栽の生育には役立つのかもしれないけど。」

そう言ってジョンが盆栽の話題に触れたおり、彼女がベッドサイドに置かれた携帯端末のメッセージに気が付く。

「あら、Lagoonから通知が来てるわ。見たことない通知ね。」

端末を覗き込むと、いくつかの盆栽のデータがグラフで表示されている。いくつかのグラフでは、顕著に変化している様子が窺える。

「水分やPHも変化してるわね。何かあったのかしら?見てくるわね。」

ベッドから起き上がり、彼女がバスローブを羽織る。

「俺も行くよ。」

ジョンも立ち上がり、バスローブを羽織る。部屋を出ていく彼女の後を追いかける。

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盆栽は、建屋の角に設けられた内庭に陳列されていた。内庭は日本庭園をモチーフに作られていて、小さな池や庭石、灯籠などと盆栽たちが調和して、安らぎを感じる空間になっている。

内庭の木々は、秋の訪れによりその葉を落としており、盆栽もまた冬に備えて、その幹に力を蓄えているように見える。

「見たところ特に異常はなさそうね。どうしたのかしら。」

内庭は一見して、おかしなところはないように見える。動物が入ったような形跡も、荒らされたような跡もない。

「ああ、そうだね。」

言い淀んだジョンは、すこし気まずそうな顔をしながら目線をずらす。

「ただ、もしかしたら・・・」

そう言いながら、ジョンは盆栽の置かれた棚の脇にある岩影に手を伸ばす。
岩影から出てきた彼の手には、小さな鉢植えが乗っていた。鉢植えには小さく赤い花がついた植物が植えられている。

「それは?」

「実は、あとでサプライズで渡そうと思って隠しておいたんだ。」

「私への、プレゼント?」

「そう、これ、ステーションで育ったバラの花なんだ。」

ジョンが持っていたバラは、宇宙空間で交配されたバラだった。微小重力下で育ったためか、花弁は小さく、茎は10センチ程度しか伸びていない。形も大きく曲がっており、まるでツル科の植物のようになっている。このため地上のバラとは似ても似つかない姿をしているが、花弁の赤色は地上のものよりも濃く、バラとしてのアイデンティティを感じることができる。

「盆栽がバラに驚いて反応しちゃう、みたいなことってあるの?」

「そんなの聞いたことないけど、でも盆栽棚に新しい盆栽を置いた後は、少し数値が変わることはあるわね。でもここまで大きい変化は初めてよ。」

「そうなんだ。このバラが宇宙で育ったのも影響してるのかな。」

バツの悪そうな顔をするジョンに対して、彼女は笑いながら答える。

「植物同士は、香りやフェロモンで会話しているという話もあるわ。ここにいる盆栽は生まれて100年近く経つものもあるから、宇宙生まれの若い子が来て驚いたのかもね。」

「うーん、そうなのかな。そうだとしても、まさか盆栽に告げ口されるとは・・・お節介な爺さん婆さんだな。」

「そうね、でも嬉しいわ、ありがとう!宇宙で育った植物なんて貴重だわ。大事にするわね。」

無邪気に喜ぶ彼女を見て安心したのか、ジョンは言葉を進める。

「最初は、自分で作った材料を加工してプレゼントしようと思ってたんだけど、ステーションにいるときに知り合った人がこのバラを育てていて、ちょうどいいと思って譲ってもらったんだよ。」

「そうなのね、このバラ、ちょっと変わった形してるけど素敵よ。」

「茎がくるっと回っていて、その上に小さな花が乗ってるように見えるだろ?何の形に見える?」

「うーん、指輪?」

と言った彼女は瞬間、このバラに込められた意味を理解し、顔を赤らめた。ジョンも同じように赤い顔になり、彼女を見つめた。

 

無数のSIMによりヒトとモノがつながり、そして共鳴する街、SIM City

 

ほどなくして、Lagoonから彼女の通信端末にメッセージが送られた。内庭に現れた3つの赤いバラを祝福するかのように。

 

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