SIM City

この記事は SORACOM Advent Calendar 2017 12/20 分のエントリーです。

 

ビットの海

古くは金属線から始まり、光ファイバーやナノカーボンファイバーと進化した人類の情報伝達経路である物理線、そして「のろし」からはじまり、音や光、電波を利用した無線網はかつて地球上に張り巡らされ、まるで神経のように人類に情報を振り撒いていた。

 

このネットワーク技術の発展によって、人類は過去にない速度で情報を伝達し合えるようになった。ひとたびつながりだした人類は、より多くの情報を求め、人だけではなくありとあらゆる物質に対してその触手を伸ばしていき、得られたその情報により、生活や仕事、人間関係、そして国と言った概念さえも急速に変えていった。

 

ネットワークがより末端の物質に触手を伸ばすにつれ、物理的な制約が足かせになりはじめた。より小さく効率の良いネットワーク機器の開発が進んだ結果、量子もつれという現象を利用した通信技術「APRIL」が誕生した。

 

元々は惑星間の通信遅延を解決するために生み出された技術だったが、量子の現象だけで安定してデータを送れる技術が確立され、小型のチップ状の装置があればどこでも遅延なく相手と直接通信が行えるようになった。


結果として、従来の物理線網/無線網に頼る必要がなくなり、バケツリレー方式による「インターネット」と呼ばれたネットワークに変わる、新たな人類のネットワークが瞬く間に構築された。

 

この新しいネットワークを構築するにあたり、通信する端末には利用者認識モジュール(Subscriber Identity Module : SIM)の利用を義務付けた。無線通信の認証のために利用されていた仕組みで、SIMに割り振られた"IMSI"と呼ばれるユニークIDを使って、通信元の認証が行えるようになっている。

IMSIは元々15桁しかなかったが、現在では通信のために使われていた"IPv6"と呼ばれる広大なアドレス体系の一部がSIM用として割り振られている。

 

通信機器と同様にSIM自体も小型化が進み、現在ではカーボンナノチューブで作られた「nSIM」と呼ばれる極小のチップが多く利用されている。nSIMにはAPRILが実装されており、このnSIMだけで認証と通信が行えるようになっている。


またセンサー類が実装されているnSIMもあり、センサーから取得した情報のコピーを仮想空間上に保持する事ができる。これはThing Shadowとも呼ばれている。

 

かつてはクラウドベンダーや通信キャリアと呼ばれた企業群は、現在はIMSIの認証とSIM間の通信を提供するための認証プロバイダとなっており、企業や個人の所有物の管理を仮想空間上で容易に行えるだけでなく、Thing間の協調動作により、事故を未然に防いだり、体調管理を行ったりすることができ、社会基盤として大きな役割を担っている。

 

『急激な温度変変化を検知しました。火災が発生した可能性があります。』

 

スクリーン上の地図が赤く点滅し、消防システムが警報メッセージを発した。10Kmほど離れた町外れの住宅街、駐車してあった複数の車両の急激な温度変化を検知したシステムが、住宅の火災を検知したようだ。

 

「消火活動のための特権ロールを要求する。担当者名カツ・ヤマシタ」

 

『承認しました』

 

警察や消防署など、公的な機関はその活動に必要な範囲のみで、認証プロバイダ内の情報に一時的にアクセスすることができる。カツは特権ロールを使い、火災箇所周囲の情報を収集をはじめる。

 

「この建物はかなり古いな。センサー類がほとんどない。現場近くの監視カメラで、火災が写っているものだけをリストアップ」

 

特権ロールの利用ログはすべて分散台帳上に記録され、検閲の対象となる。このため、特にプライバシーに関係するカメラへのアクセスは特に慎重を要する。かならず情報のフィルタリングが出来る情報を渡し、画像認識を使って必要な情報以外が写っていないかどうかを確認して、情報を取得する必要がある。


消防システムは認証プロバイダ上に地区先されたThing ShadowのGPS情報にアクセスして、火災発生箇所周囲のカメラの情報を収集する。

 

『9箇所のカメラが該当します』

 

「OK,スクリーンに動画を表示」

 

特権アクセスにより、一時的にカメラの動画にアクセスする。画面が9分割され、炎上している建物が映し出された。かなり年数の経った洋館のようで、消化システムが設置されていないためか、激しい勢いで建物を包み始めている。

 

「火災を確認。消火システムを3台、転送」

 

『転送を開始します』

 

消化薬剤を積載したドローンが3台、「Beam」と呼ばれる物質転送技術により火災現場に転送される。スクリーン上の動画のいくつかに淡い光が発生し、次第にドローンが具現化する。


ドローンは火災を検知すると自律的に飛行を始め、消火活動を始める。スクリーンにはドローンの動画が表示される。程なく火災は鎮火し、スクリーン上の赤い点滅が消える。

 

「特権アクセスを解除。現場検証に向かう。警察にも連絡を。」

 

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火災現場の発生した洋館は木造の平屋建てで、火の周りが早く半分焼け落ちていた。住人はいない模様で、人的な被害はなさそうだ。

 

現場の状況と、火災発生前の周囲の状況分析から、火災の原因は不審火である可能性が高い。

 

相続された履歴もなく、焼け残った建物を見る限りでも補修などはされていないため、数十年に渡って放置されていたと考えられる。

 

「不動産の履歴を調べましたが、建物が建築されたのはおよそ80年前です。登記時のオーナーの年齢が40歳なので、もし生きていれば120歳を越してることになります。おそらく既に他界されているでしょうね。本庁のデータベースも当たってみましたが、このオーナーのご家族に関する情報は何もないですね。」

 

現場で落ち合った警察官ジュン・ホンダは、半ば諦め気味に話す。警察や消防といった公的機関や地域の見守りのような地域のセーフネットは、センサーや通信の発達に伴い、次第にシステム化され、人手を介さなくった。過疎化が進んだ地域はこの手のシステムの恩恵は受けたが、逆に隣人同士の交流も減り、いわゆる「お隣さんが」といったアナログな見守りは希薄になるという問題を抱えていた。おそらく、このオーナーがいなくなったことも周囲には気が付かれなかったのだろう。

 

「一応決まりですので、連絡先が分かりそうなものがあるかどうか探します。お手数ですがご同行願います。」

 

ひっそり静まり返った建物に、警察官とともに入る。火の周りが早かった南側はほぼ全焼しており、残されたいくつかの部屋を捜索する。焼けて危険な部分を避けつつ部屋を見回るが、焼け残った部分の部屋はほとんど家具が無く、手がかりとなりそうなものはなかった。


諦めて引き上げようとした時、焼け落ちた壁の奥に何かがあるのを見つけた。

 

「何か金庫のようですね。」

 

重厚な作りの金庫が、焼けて剥がれ落ちた壁の奥から覗いていた。どうやら壁に隠れた金庫のようだ。ステンレスで出来ているのか、長い年月が経っているが錆などはない。壁の奥から持ち出し、取っ手をひねると、音もなく扉が空いた。

 

金庫の中には、小さな箱が一つ入っていた。箱の中には小さな紙切れと、5ミリ四方の四角いチップが1枚入っていた。


紙切れには、「呪いが解ける日が来るまで サトシ」と書かれていた。

 

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国の決まりにより、所有者のいない物件は、一定期間の所有申し立て期間を過ぎたあと、国により接収される決まりとなっている。このため、火災となった現場の場所と動画、そして現場から保全したいくつかの家財の写真は、所定のサイトで公開され、所有者がいれば申し出ができるようになっている。

 

土地に価値があった時代は申請者の厳密な調査を行っていたが、技術の発達により居住区域はどこにあっても問題がなくなり、土地の価値自体がほとんどなくなった今では、今回のように所有者が亡くなっているであろうケースではほとんどの場合、所有申し立てをしてくるものはいない。

 

ジュンは似たようなケースで何度も所有申し立ての情報掲示をしており、今回も他のケース同様、申し出がなく接収されることになるだろうと思っていた。しかしながら紙切れの言葉が気になっていたため、なにか手がかりがあると面白いのにと考えていた。

 

その矢先、この物件に対する問い合わせが1件入った。問い合わせは、所有の申し立ててではなく、自分の祖母が持っていた写真とこの物件がよく似ているため確認させて欲しい、というものだった。

 

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警察署を訪れたケイ・マツモトと名乗る女性が差し出したハガキ大のサイズの写真には、火災で焼ける前のきれいな洋館と、その庭先に立った男女の姿が写っていた。女性は、小さな子どもを抱いていた。

 

「この写真に写っているのは、私の母のエミと祖母のマイコです。男性は、おそらく祖父だと思いますが、母も顔が分からないそうです。写真は祖母が亡くなったあとに出てきたものなんですが、この建物と男性が写っているものはこの1枚だけです。」

 

事情は分からないが、この女性の祖母になんらかの問題が発生し、父親と離れ離れになったようだ。

 

「母の戸籍を調べてもらえれば分かるのですが、母には父親がいないことになっています。この写真が母の両親のものだとすると、この男性が私の祖父に当たるのではないかと思います。
母は、祖父がいなくなった理由を何度も祖母に聞いていたそうですが、祖母は頑として答えてくれなかったそうです。母ももう高齢なのですが、なぜ祖父が突然いなくなってしまったのか、もし分かるなら知りたいと言っていまして。」

 

紙切れに書かれた「呪い」という言葉と、祖父がいなくなった事には何か関係がありそうだが、手がかりとしては残されたものは、四角い黒いチップしかない。

 

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所有申し立て期間が経過した後、ケイ以外の問い合わせはなく、結局所有申し込みはなかった。このためジュンは、ケイに調査のために所有申し立てをすることを勧め、それは受理された。


実はジュンは紙切れの言葉が気になっていたため、所有申し立て期間が終わったあとに調査をしようと思っており、箱の中の四角いチップについて情報を集めていた。

 

「この四角いチップは、洋館が建築された頃によく使われていた"eSIM"と呼ばれるSIMのようです。古いSIMではありますが、今現在も認証プロバイダに登録があるSIMということは分かりました。」

 

所有手続きが受理された証跡と共に、認証プロバイダに対してSIMのアカウントの移譲を申請した。数日後、申請は受理され、SIMに関する情報がコンソールで見れるようになった。


コンソールで確認すると、SIMにはストレージサービスへのアクセスパスが設定されていた。SIMを鍵として、何かをストレージに格納しているのだろう。

SIMで通信すれば、このストレージサービスにアクセスできそうであった。

 

ジュンはeSIMであると判明した段階で、おそらく通信の必要があることも見越していた。このため、骨董市でこのeSIMが使える通信モジュールを手配していた。

現在の通信はAPRIL経由で行われるため、従来の通信をAPRILでトンネルできるタイプのモジュールを入手していた。

 

eSIMを通信モジュール上のソケットにはめ込んだあと、モジュールのコンソールから「http://beam.soracom.io」にアクセスすると、ほどなくファイルのダウンロードが開始された。最終的に100GB程度のサイズのファイルがダウンロードされた。ファイルを作業用の端末に移動し、コンピューターに問いかけた。

 

「これはどのようなファイルだ?」

 

『このファイルはzipと呼ばれる圧縮形式のファイルで、AES-256で暗号化されています。現在は暗号強度の関係上、使われていません。』

 

ここ数十年使われていない方式ということだが、いまのコンピューターの計算能力であれば、復号化できそうだ。

 

「復号化にどのぐらいかかる?」

 

『最大で5分です』

 

ほどなくファイルの復号化が終わり、中に入っていたファイルが表示された。

ファイル名には日付とタイトルがついていたが、一番新しいファイルには、「マイコとエミへ」と名づけられていた。どうやらこのサトシがエミと関係が深かったのは間違いなさそうだ。

動画を再生すると、写真の男性が映し出された。ひどくやつれているように見える。

 

「マイコとエミへ。もしこの動画を君たちが目にすることがあれば、おそらくその時は私の呪いが解かれていると思う。

自分の興味本位で作った仕組みのせいで、こんなことになって本当に済まない......」

 

動画の中で、男性は謝罪を繰り返していた。

話を要約すると、"ビットコイン"というものを作った影響で、さまざまな機関から狙われるようになり、家族の身の安全のために自分から遠ざける必要があったということのようだ。

マイコが父親について頑なに話さなかったのは、それもエミの身を案じてのことだと思われる。

 

そのほかの動画には、生まれて間もない子供と、幸せそうにそれを見つめる男女が写っていた。

 

「これ、お母さんとおばあちゃんだと思う」

 

ケイが物心ついたときには、既に祖母であるマイコは他界していたため顔は分からないが、動画に映し出されている女性は、ケイの母親にそっくりだった。

 

後日、エミもこの動画を目にし、長年謎だった父親の失踪の理由と、母親が父親の話をしなかった理由を理解した。

一時は自分が両親から愛されていないのではないかと思い、母親に辛く当たった時もあったそうだが、それが全て両親がエミのことを思ってやったことだと分かり、長年の謎が消え、納得した様子だった。

 

サトシの思いは、数十年経ってようやくエミに届いたようだ。

 

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ジュンは今回のための調書をまとめながら、結局呪いが解けるという意味がわからなかったなと、と考えていた。しかし、サトシが狙われる理由となったビットコインについて調べたところ、ようやく呪いの意味が理解できた。

 

ビットコインは、洋館が建てられた後ぐらいにブームとなった暗号通貨で、ハッシュ値の計算を元に通貨が成り立っているという性質のものだった。

 

中央集権的な貨幣とは別の仕組みで流通できたこととで、多くの地下組織がビットコインや、それに類似したものに手を出し、資金源となっていたようだ。

 

ビットコインの理論は匿名で世に出したようだが、おそらくいずれかの段階で正体が発覚し、彼自身の保有していた大量のビットコインを狙われたのではないかと思う。もしくはビットコイン自体のハッキングや、新しい暗号通貨の開発のためにそういった組織から狙われていた可能性も高い。

 

しかしビットコインハッシュ値の計算に依存しているため、突然大きな計算量を持つコンピューターが出てきた場合には、暗号通貨自体が無くなったり書き換えられてしまう可能性がある。事実、ここ数十年の量子コンピューターの大幅な発展によって、何度か暗号方式の変更を余儀なくされているし、その過程でビットコインも価値を失っている。


言い換えると、もし自分が用意したzipファイルの暗号を簡単に解くことが出来るぐらいに計算量が多いコンピューターがある世の中になれば、自分と自分の家族が狙われる理由もなくなっているはずで、その時はzipファイルの暗号もビットコインの呪いも解けているはず。その時は真実を家族に話したい、という思いでこの動画を撮ったのではないだろうか、と考えると納得がいく。

 

破られないことが一番重要である暗号通貨を設計した本人が、実は一番破られることを期待していた、というのはなんとも皮肉な呪いである。

 

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ジュンは調書をまとめると、ファイルをアップロードしてこの件を報告した。

 

無数のSIMによりヒトとモノがつながり、そして共鳴する街、SIM City。もしサトシ・ナカモトが今を生きていなたら、SIMを使った仕組みを何か考えついていたのだろうか。もしそうだとしたら、それは彼が幸せになる仕組みであって欲しいと、eSIMを眺めながらそう思った。